治らない切れ痔を完治させる方法
■この記事について
この記事は以下の様な方を対象にしたものです。
・切れ痔が治らない方。いぼ痔(痔核)や痔ろうは対象外です、専門の病院へ行ってください
・病院で切れ痔と診断され軟膏の処方と食生活の改善をアドバイスされたが、なかなか改善しない方
・軟膏で一時的に改善するが硬い便を出すとすぐ再発する、もしくは出血や痛みがどちらか一方改善しない方
ちなみに私はすべて当てはまっていた切れ痔持ちでした。初めて切れ痔を自認したのは記憶にある限り中学生の時であり、症状が悪化して通院を始めたのがその10年後で、それから5年後の現在ようやくほぼ完治と言える状況まで改善しました。その過程では複数の肛門科を受診したり食生活の改善等を試行錯誤したため、効果を得られるまで長い時間がかかったわけですが、日常で排便が苦痛になり朝に排便しようものならその日は痛みで無気力になり何もできない日もありました (冗談ではない) 。そして、同様の悩みを持つ方のために備忘録もかねてこの記事を書くに至ります。
この記事の内容は、以下の4つのパートに分かれており、すべてを実践することで切れ痔の改善が期待できます。そもそも医療機関や製薬会社が同様の内容を記載したウェブサイトがインターネット上にはあふれていますが、より実際的により具体性を持たせて書いたつもりなので、上記の悩みを持つ方は実践してみる価値はあると思います。各パートの概要は以下の通りです。
- 便秘の改善・・・主に食生活の改善を中心に行い、毎日排便かつ適度な水分を保った便が出るよう腸内環境を構築します (結局これが最重要)
- 切れない排便の仕方・・・傷をしっかり治すためには日々切らないことが重要であり、それを習慣化します
- 軟膏の使い方・・・痛みの緩和また傷の修復促進のため軟膏の正しい使い方を知る必要があります
- 生活習慣の改善・・・主に運動により蠕動運動 (ぜんどううんどう) を促進します
■ 1.便秘の改善
切れ痔とは文字通り肛門付近の粘膜や皮膚が裂傷することを言いますが、粘膜には痛覚がありませんので (出血はする) 痛みを感じている場合は上皮の部分、すなわち肛門の出口付近のまで傷が進展していることになります。いずれにしろ切れる原因は硬い便が排出される際、相対的に狭い肛門口を無理やり広げることとその際に便との摩擦が発生することにあります。
便が硬くなるとは便秘であることとほぼ同義です。排便が毎日行われない場合、その分だけ腸内に便が長く滞在することになります。特に肛門付近に長くとどまることで大腸に水分は吸収され続け、便意を感じるころには非常に硬い便となっているのです。
【実践1-1】毎日排便する
前述の理屈から、腸内に滞在する時間をなるべく身近くすること、すなわち毎日決まった時間間隔で排便する習慣をつけることが重要です。と言っても便意が来ないと出せないという方も多いと思いますが、トイレの便器に座り少しでもいいから出すことを意識し、体に覚えさせていきます。一度習慣化してしまえば自然と毎日同じ時間に便意を感じ、無理せず排便できるようになります。
【実践1-2】就寝前・起床後に水分をとる
水分が不足しているため便が硬くなるということは、水分を補ってしまえば硬くなることを遅らせることができるということです。私の場合はコップ一杯の水 (ごくごくと飲む程度の気持ち多めの量) を寝る前と起床後すぐに飲むことを習慣にしています。もちろん日中も水分補給を多めにするのがベストですが、この時間に水を飲むことは腸の消化活動を活発にする役目もあるため、最低限意識してください。
【実践1-3】食物繊維を多くとる
食物繊維には大別して水溶性と非溶性の2種類がありますが、その両方を意識して施主するようにしてください。水溶性のものは、大豆や大麦、海藻全般が多く含んでおり、非溶性のものは主にキノコ類が該当します。また、葉物野菜や根菜、そしてイモ類には両者をバランスよく含んでいます。これらの食物繊維には便秘に対して異なる改善効果があり、前者は腸内細菌 (乳酸菌やビフィズス菌) のエサとなり消化吸収を手助けするとともに便を柔らかくしてくれます。一方後者は、消化されにくく便のかさ増しと蠕動運動を促進し便意を感じやすくする働きをします。以下に私が良く食べていたメニューを記載します。
・ひじきの煮物・・・ひじき、大豆 (水煮) 、ニンジン、ゴボウ、油あげを醤油ベースの味付けで煮る。海藻・豆・根菜と食物繊維を効率的に摂取 (市販品でも代用可)
・麦ご飯・・・白米、押し麦を炊く。主食で手軽に食物繊維を補填。
・きのこの炊いたん・・・きのこ類 (しめじ、まいたけ、エノキ、エリンギ等)、野菜 (小松菜、オクラ等)、油揚げ、みょうがを醤油と出汁で煮る。日々の食事にプラス一品。
・わかめの味噌汁・・・乾燥わかめ、しめじや舞茸を味噌汁で手軽に。
便の硬さは食生活や水分摂取により便秘が改善し毎日排便できるようになれば自然に改善しますが、腸内環境が整うまではすぐに効果が得られない場合が多いです。そのため、酸化マグネシウムを摂取することで便を強制的に柔らかくし便意を促す必要があります。ただし、摂取しすぎは下痢の原因になりますので自身にあった量を摂取することをお勧めします。ビオフェルミンはビフィズス菌という善玉菌を外部から補填することで腸内環境の改善を図ります。錠剤タイプで毎食後規定量を飲むようにしてください。これらは治療の段階で飲み飲む必要があり、適切な排便習慣が身につけば飲み続ける必要はありません。
章の最初で述べたように、これらを実践することで硬い便を出して肛門が切れるという悪循環を断ち切ることが切れ痔治療の基本です。逆に言えば、便が硬いままいくら傷を治しても、治りかけの傷口がまた開いてしまい、どんどん傷口が深くなっていきます。酸化マグネシウムで柔らかい便を出している間に腸内環境と毎日の排便習慣を身に付けます。
■ 2.切れない排便の仕方
便を柔らかくしてしまえば裂傷が起きにくいとはいえ、下痢のような水っぽい便を出すわけではないので、排便時に肛門は大きく広がります。一度切れ痔になってしまうと一度切れた場所が切れやすくなり、せっかく治りかけた傷が開いてしまいます。また切れてしまう恐怖から排便を控えるようになり余計に肛門を狭め、便秘にもつながります。そのため、切れにくい排便の仕方を覚えることは非常に重要です (精神的にも) 。
【実践2-1】力みすぎない
排便時に肛門に意識を集中させ、便の硬さや大きさを感じてみてください。慣れてくれば、硬い便がでそうだなとか、大きいけど柔らかいななどの違いが分かるようになります。そして切れないためのポイントは、肛門を広げすぎないように意識することです。大きい便や硬い便が出そうなときに一度肛門を締め、便をつぶしながら絞り出すイメージで少しづつ出していきます。勢い付けて出してしまいたいですが、勢いが強いと肛門を開きすぎたり摩擦が強くなり切れる原因になります。ちなみに、硬すぎる便はつぶしようがなく、勢いがつかないと出てこない場合もあるので、酸化マグネシウムで必便を必ず柔らかくしてください (硬すぎる便が肛門の先まできてしまったら切れるのを覚悟するしかないです) 。
【実践2-2】ワセリンを塗る
薬局等に売っているワセリンを排便前に肛門全体に塗ります。これが潤滑材の役目を果たし、排便の促進と摩擦の低減が期待できます。私は使い捨てのビニール手袋をし、ワセリン適量を指にとり塗っていました。
切れ痔の再発を防ぐには、排便しても傷が開かない状態をどれだけ長期間継続できるかにかかっています。傷が内部まで治れば多少便が硬いときも切れない、もしくは切れるけど出血も痛みも軽い状態に持っていくことができ、それが切れ痔の改善効果として実感できるようになります。
■ 3.軟膏の使い方
肛門科を受診すれば、注入型の軟膏が手には何時と思います。軟膏は、傷口の感染予防と早期治癒の効果があり、使用することで早期の改善が見込めます。一方で、正しい使い方ができていないと効果が得られにくいことは肛門科では教えてくれません (筆者のパターン) 。大事なポイントは「患部に直接塗ること」です。
【実践3-1】軟膏を塗る
注入型軟膏の場合肛門の奥まで薬品が塗布できますが、痛みを感じる切れ痔の場合は上皮の部分に傷ができているため、むしろ奥に塗布する必要はありません。可能であれば、鏡などを使用して直接患部をみたり、指で触り痛みの出る部分を良くさがしてください。そしてその患部にめがけて、手に少量出した軟膏を直接塗りつけてください。
私の場合はポステリザン軟膏を処方してもらい、一つのチューブから一日に何回かに分け患部に塗っていました。市販品ではボラギノールや清涼感で痛みを緩和できるプリザエース軟膏を使用しました。
■ 4.生活習慣の改善
食生活及び水分補給の習慣については1章に記載済みです。このパートでは運動と普段の生活において意識すべき点を記載します。
【実践4-1】筋トレ・ストレッチをする
適度な運動は腸の運動を促進し、便意を発生しやすくします。特に下腹部のインナーマッスルを鍛えることが効果的です。スクワットやプランクなどを下腹部の筋肉を意識しながら行います。もしくは、お腹を限界まで膨らまし他状態で息を吸って吐き出す運動を行い腹圧を高めます。ストレッチは股関節回りや骨盤周りの腸腰筋を伸ばすこと、太ももの前側を伸ばし反り腰にならないことを意識してください (やり方はyoutube等を参照) 。
【実践4-2】長時間座り続けない
長時間同じ姿勢、特に長時間座った状態は腸の蠕動運動が悪くなるうえ肛門付近の血流の悪化を招きます。それにより便意が起きにくくなるだけでなく傷の治癒が遅れ不快感が増します。1時間に1回を目安に立ち上がり足を延ばす等のストレッチをし、ついでに水を飲むよう習慣化していきます。
以上、実践ポイントを押さえて生活すれば、切れ痔の改善が見込めます。最後に、毎日の排便記録 (便の硬さ、傷の具合、痛み・出血の量) をとることで継続していることを意識できるとともに、習慣化の一助となります。傷が完全にふさがり切れないようになるのは半年ほど根気強く継続する必要がありますが、途中で切れてしまっても次第に痛みが小さくなり治りが早くなるのが実感できるはずです。
「天気の子」感想 "世界はオタクのために勝手に助かるのやめろ!"
およそ一年前の七月末、新海誠監督の「天気の子」を見に行った。この映画は当時の自分に大層ウケた。最近BDで再度この映画を見て、その時のことを思い出したので、いまさらながら書き留めておく。
まず登場人物のキャラクター。主人公の少年に対して、
少しエッチなお姉さん、気だるげだが人情味あるお兄さん、年上のお姉さん系ヒロインとお姉ちゃん思いの弟、熱い刑事 etc...
ウケるアニメのテンプレのようにも思える、オタクが好んで、何度も妄想したような、やつである。特に夏美先輩に関しては、口調や容姿、性格に関して、虚構とリアルが絶妙に入り混じっている(とオタクに思わせる)キャラクターだった。リアルにあり得ない展開も、オタクのリアルだと信じたい心と、ほとんど無意識的に感受してしまうミームゆえに、自然と受け入れざるを得なかった。
次にストーリー。分類としては世界系となる、いわゆる「女の子と世界、どっちが大事なの?」系の、オタクが相も変わらず大好きなやつである。ただし、この作品は、量産されたその辺の凡作とは決定的に異なる点がある。
なぜなら、近年の(特にまどマギ以降の)作品は、たいてい「世界」のほうを選んでしまうからである。そのため、それらの作品は、女の子が犠牲になるかその存在が世界から消滅する代わりに、世界が何事もなかったように回っていく終わり方をする。もしくは、ヒロインと世界の両方を救う大団円エンドとなる。
これらの傾向は結局のところ、オタクは、女の子が世界の不条理にいじめられて苦しんでいるところを見て歓喜しているだけ、であることを表している。
加えて、最後には泣く泣く「世界」のほうを選んだふりをして、自分は価値判断ができる正当な人間だと、おのれの低い自己肯定感を最低限維持している。
そして、大団円はさらにひどく、やっぱ女の子も救ってあげないとかわいそうだよな(笑)と言わんばかりに彼女たちを生かし、リアルの人間関係では得られない優越に浸る。
オタクはこういう生き物なのだ。そして、それがウケているため世界系というジャンルは根強い人気を博している。ところが、「天気の子」では女の子を選んでしまう。オタクはいつもと違う展開に混乱してくる。きっと、世界も助かって大団円エンドになるのだなと、勝手に脳が考え始める。もう一展開あって世界を救うのだな、そりゃ女の子より世界のほうが大事でしょと、当然のように思っている。しかし、世界は助からなかった。次のシーンでは、三年降り続いた雨のため水没した東京が映っていた。
私はこの時完全にこの作品が好きになってしまった。それは、オタク特有の同族嫌悪があったから。
オタクは女の子いじめて興奮すんのやめろ!
世界はオタクのために勝手に助かるのやめろ!
この作品では、オタクと世界は女の子を救った代償をきちんと支払った。水没した東京を見て、ほんとに気持ちが良かった。すがすがしい気持ちになった。ざまあみろと思った。そのあとの、大人たちのセリフもまたいい。彼らは、女の子に世界の安寧を背負わせていたことを無意識にも自覚し、反省した。まさに、女の子サイドの完全勝利だった。
(ここまでさんざんオタクをディスってきたが、この展開はきっと、一般人にもウケない。なのに平然とやってのける新海誠スゲえよ。そもそも、新海誠はそういう人間だったが。)
(ちなみに、世界系作品に関わらず、女の子を傷つける不条理が実はオタクの願望により作られているという事象を、(萌え)アニメにおける「男性的権力」と私は呼んでいる。この話は長くなるので別の機会にしたいが、「男性的権力」をうまく回避した素晴らしい作品が、ここ何年かで増えている気がする。)
「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」をみたドラクエ音楽 オタクの雑記
「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」のBGMについて愚痴を言うだけの記事です。
(大いにネタバレあります)
人生の半分以上を共に過ごしてきたドラゴンクエストシリーズの映画化と聞き非常に気分が高揚したのを覚えている。しかし、実際出来上がったものは”虚無”でしかなかった。
ドラクエ5の皮をかぶった何かを見て感情も思考も追いつかないほど頭が真っ白になった。上映が終わった後、他の客の感想を、ため息を、愚痴を聞くのが怖くて足早に映画館から立ち去った。
この映画の何がダメだったかは多くの人々に書かれ尽くされただろうからここでは書かない。駆け足な脚本、キャラの解釈違い、ドラクエに似つかわしくないセリフ選びそしてVR落ち。
長年ドラゴンクエスト5を愛して来たファンを侮辱するための映画、リアルタイムで原作をプレイした人達の悲痛な叫びに胸が痛んだ。
だがしかし、BGMの選曲・使い方については一言行っておかねばならない。
不評しか聞かないこの映画でも、「映像とBGMはよかった」、「オーケストラのBGM最高!」などと書かれることが多いが、BGMに関しても不満しかない。
私はドラクエ音楽とともに生きてきた。ドラクエのおかげでゲーム音楽にはまり作曲を趣味としコンサートに出かけるようになった。
少々信者くさい域に達してしまっていることは十分自認しているが、この映画を見て同じ思いをした人の感情が少しでも和らぐように、私の思いをこの記事に残そうと思う。
選曲者がドラクエ5をやっていない
監督や制作の指揮を執る立場の人間が原作のドラクエ5(及び他のRPG作品)をやっていないということの一番の弊害がこの映画におけるドラクエ音楽の使い方に出ている。
まず前提として、ゲーム音楽がそのゲームの場面やストーリーと強く結びついていることを知らないので、曲の雰囲気や尺だけでBGMを選んでしまう。すると原作プレイヤーの視聴者は今見ている映画と原作の場面の食い違いを感じざるを得ず、そこで脳のリソースの多くを使ってしまうため、映像を視覚的に理解する余裕がなくなる。
たとえば「聖(DQ5)」が流れているのに場面が修道院ではなかったり、妖精の村なのに専用BGMの「街角のメロディ(DQ5)」が流れていなかったりして、選曲の意図がつかめず見ていて逐一萎えてしまう。
ドラクエという超メジャーなゲーム作品でしかも5だけではなく他シリーズからも選曲するとなるともっと神経質にBGMと場面のギャップを埋める努力をするべきだった。この点を理解していない(もしくはそんな考慮をする必要性を感じていない)のならもはやゲーム作品の映像化に携わる資格も能力もない。
同じ曲を流しすぎ
これは本作品を見た方なら誰でも気が付いただろう。「序曲のマーチ(DQ5)」4回、「高貴なるレクイエム(DQ5)」「不死身の敵に挑む(DQ5)」「敢然と立ち向かう(DQ6)」3回、「哀愁物語(DQ5)」「愛の旋律(DQ5)」2回、などがある。
他のシリーズからも選曲したにもかかわらず、同じ曲を何回もしかも大抵イントロから流されて中途半端なにぶつ切りされるので、曲本来の魅力やここぞという時の迫力が薄れてしまった。
特に序曲の乱用は意味がわからない。最初の序曲はたいして魅力なく奴隷時代の苦悩の重みも感じられない主人公が、「行けばいいんだろ!行けば!」といやいや冒険に出発しするシーンで流れる。唐突に魔法を使ったりビアンカのリボンの存在を無視してキラーパンサーと再会しながら、最後に炎上しているサラボナを背景に曲が終わる(は?)。
序曲は最初か最後に流すのが定石だし不穏な雰囲気で終わらせるなら使うな(CMじゃねえんだぞ)。
また寒いギャグに使うのは侮辱でしかない。主人公が天空のつるぎを抜こうとするシーンを見たとき、「あれ、これもしかしてつるぎが抜けなくてギャグ調に序曲キャンセルされるやつじゃ...」という思考がすぐ頭に浮かび、そのわずか数十秒の間は拷問を受けてるような羞恥心にも近い感情を持ったことははっきりと覚えている(そして本当にそのような演出だった)。
序曲をキャンセルしていいのは某大魔王だけである。
他シリーズの曲流しすぎ
前述したが本映画ではドラクエ5以外の曲が多く使われている。しかも4,6の天空シリーズだけではなく他のナンバリングタイトルから多くの曲を持ってきている。
後述するがゲマ戦の「オルゴ・デミーラ(DQ7)」だったり、エンディングの「この道わが旅(DQ2)」と「そして伝説へ(DQ3)」はこの映画で使う意図がまったくわからない。
「決戦の時(DQ9)」)は「序曲のフレーズ入っててかっこいいからここだけ使お」ぐらいにしか思われてなさそうだし、「勇者の凱旋(DQ11)」は「ブオーン倒して凱旋してるから使お」ぐらいにしか思われてなさそうである(そもそも主人公は勇者ではないが)。
天空シリーズの曲を使うにしても、「馬車のマーチ(DQ4)」は「勇者の故郷(DQ4)」の孤独感との対比があって良さが際立つので、ただ険しい道を冒険してるだけのシーンにはふさわしくない(そもそも馬車がない)。
6はナンバリングタイトルの中でも原作の雰囲気が印象深いため、「敢然と立ち向かう(DQ6)」「精霊の冠(DQ6)」「空飛ぶベッド(DQ6)」「迷いの塔(DQ6)」などはレイドック城の回想シーンやムドー戦がどうしても脳裏に浮かび映像とのミスマッチがひどい。
余談だが、同じく過去シリーズの曲を大量に採用したドラクエ11ではまだ過去作で使われた場面に曲を合わせようとする意図が感じられ、例えばオープニングの「はめつの予感(DQ5)」「カタストロフ(DQ2)」だけ見てもコアな原作ファンにとってはそれだけで興奮できる仕掛けだった。
また11は過去作の集大成ということでいろんなシリーズの曲を聞けるだけで感極まるところがあったのだが、本映画はドラクエ5の映画化を謳い原作ファンを集めた上でこの意味不明な選曲だったため、より一層残念さが際立ってしまった。
「大魔王」が流れない
ご存知の通りドラクエ5のラスボスは魔王ミルドラースであり、その時流れるのは専用曲「大魔王(DQ5)」である。ミルドラース同様記憶に残らない曲扱いされることも少なくはない曲であるが、ドラクエ音楽好きの中ではファンも多いだろう。
特徴的なのはイントロのティンパニの連打、ティンパニが特徴的な曲と言えばこの曲と「生死を賭けて(DQ11)」「立ちはだかる難敵(DQ4)」あたりだろうか。打楽器の良さが引き立つ曲もすぎやまこういち氏は作ってくれる。
さらに「大魔王」に関してはドラクエ5の不穏さを象徴するME「悪のモチーフ(DQ5)」が随所に使われていて、この曲をバックに魔王を倒してこそドラクエ5はハッピーエンドを迎えることができる(本映画ではそもそも悪のモチーフの陰が薄いが)。
しかし、本映画ではミルドラースが出てこないという斜め上の理由でこの曲は流れず、代わりに「オルゴ・デミーラ(DQ7)」が流れる(ここが一番意味がわからない)。
初見の私はゲマと戦っている最中急にドラクエ7のラスボス戦が流れてきたことにひどく困惑したが、「きっとこの後ミルドラースが出てきて「大魔王」流すためだよな...」などと好意的に解釈しようとした。ご存知の通りそんな期待はあっさりと裏切られることとなった。
エンディングが「結婚ワルツ」じゃない
ドラクエ5は親子三代にわたる壮大な人生物語、そのなかでも屈指の人気イベントといえば花嫁選択イベントだろう。ドラクエ5をやったことがあるとなればたとえコアなドラクエオタク同士であっても、「花嫁どっち派?」と挨拶がてら話をすることで会話が続く。
本映画でも花嫁イベントが序盤中盤の盛り上がりどころでかなりの尺をさき、かつ本作の落ちにも繋がる伏線が用意されていて製作陣の中でも重要な位置付けであったことは間違いない(ビアンカの性格については触れない)。
ではどうしてエンディングに「結婚ワルツ(DQ5)」を流さない?
原作では結婚式で一回目が流れ(本映画も同様)、エンディングでもう一度この曲が流れる。魔王を倒し平和になった世界を祝福するように、主人公一家の今後の幸福を願うように、親子三代の物語が「結婚ワルツ」で締められる(最高だ)。
じゃあ一方で本映画では何を流したかというと、「この道わが旅(DQ2)」「序曲のマーチ(DQ5)」「そして伝説へ(DQ3)」の3曲。おい!序曲何回目だよ。他の2つも天空シリーズまったく関係ない!
ゲマ戦後のVR落ちショックのせいでこの辺り記憶が皆無なのだが、ウイルスと名乗るキモい生物に「大人になれ」と言われた主人公が、俺はこの世界を否定したくない的なこと言って、これが「この道わが旅」です!ってこと?アホか。
呆然としたままエンドロールに入り「結婚ワルツ」で終わりかなと思っていると「そして伝説へ」が流れ始め、 この辺りで逆におかしくなって笑ってしまった。「急にロトの剣出してロト感出たから原点の3流したろ!」とか、「人気曲だから流しといてやるぜほら泣けよ!」という製作陣の低俗な思考がひしひしと伝わってきた。
何もかもがミスマッチ、早く帰りたい。
VRの中のBGMとは
本映画のキモであり同時に多くの批判を浴びる原因になっているのが、この世界はVRゲームドラゴンクエストの話であり主人公はドラクエ好きのおっさんだったという点。
これ自体全くふさわしくない設定であることには目を瞑るとして、「没入型ゲームにおけるBGMとは?」という純粋な疑問が浮かんだ。
しかし、映像だけ見ても主人公が石化中の物語が上映されたりしているし、奴隷生活やらせるVRゲームとは?という疑問が出てきてしまうので、BGMだってそんなの映画だから仕方ないだろというなんとも面白みのない答えが出てくる(ほんとこのオチがやりたかっただけなんだな...)。
これに関連して、実は序曲が流れたのはもう一回あったことを思い出す。それは主人公(中のおっさん)がサラボナで口笛で口ずさんでいた曲だ。当然序曲がドラクエ世界の流行りの歌などということはないため、ある意味これはVR落ちの伏線だったのかと思う。
となると、このVRゲームで流れる曲は主人公のリクエストした曲の可能性はないだろうか。少年時代をスキップしたり、ロボットを出すというむちゃくちゃな要望が通るのであれば(女の子を消したことは絶対に許されない)、その場の雰囲気とか感情に合わせてBGMとして流れており(主人公の頭の中に浮かんでおり)、我々はそれを聞かされていた。
結局、俺が考えたお前の最強のユア・ストーリー感。
その他個別楽曲感想
「地平の彼方へ(DQ5)」・・・冒頭でSFC音源から映像に合わせてオーケストラ音源にクロスフェードしたのは評価できる。
「不死身の敵に挑む(DQ5)」・・・これが映画館で流れるだけで脳汁がやばい。
「陽だまりの村~村の夕べ(DQ9)」・・・間奏部分だけかなりの長尺で流れた。サントラを聞き直してようやく気づいたが、なぜこんな使い方をしたのか。
「導かれし者たち(DQ4)」・・・エンディングじゃないのにエンディング感出て違和感やばかった。ここの映像覚えてない。
「敢然と立ち向かう(DQ6)」・・・細い話だが「敢然と立ち向かう(DQ6)」と「ムドーの城へ向かう(DQ6)」はイントロに違いがあり、オーケストラではそれぞれ前半と後半にあたる。本映画では両方使われていた。
「窮地を駆ける(DQ11)」・・・出だしの二小節だけ使われたような?効果音じゃないんだからさ...
「精霊の冠(DQ6)」・・・たいして思い入れのないヘンリーとの別れのシーンで流れる。ミスマッチランキングNo.1!
おわりに
以上、言いたい放題言ってきたが、不満を述べるだけでは無責任なので、最後に一つBGMに関して代案を述べるとするならば、敢えてゲーム音楽の使われ方に準ずるというのはどうだろうか。
用いるBGMはドラクエ5のみから選曲しボス戦のシーンには「不死身の敵に挑む(DQ5)」、冒険のシーンには「地平の彼方へ(DQ5)」を必ず流す。ゲーム音楽としては何回使おうが関係ないわけだし、オーケストラ版ならば楽器の編成が違うところを抜き出したりすればある程度パターンも確保できる。
映画音楽としては総監督の好きな”誰もやってないネタ”だしドラクエでやることには大いに意味があるだろう。
この映画を見たあとすぐ、第33回ファミリークラシックコンサート「ドラゴンクエストの世界」でドラクエ3の公演を聴いてきた。
やはりゲーム音楽は非常にいいもので、初めから終わりまで聴けば1つの作品を再プレイしたようにストーリーやプレイ当時の記憶が思い出され、それだけで心が豊かになるのを感じた。
特にドラクエはオーケストラ版のCDが出て、毎月のようにレベルの高い楽団によるオーケストラコンサートが開催されており、生演奏の素晴らしさも体感できる。
子供の頃、PS2版のドラクエ5リメイクでBGMがN響のオーケストラになり戦闘曲やフィールド曲の迫力に圧倒された経験を今でも覚えていて、オーケストラには特別な思い入れがある。
この映画でもオーケストラのドラクエ音楽を映画館で聴くという貴重な体験ができると思ったが(実際映像と相まって素晴らしい点もあったのだが)、多くのファンにとって楽しい思い出にはならなかったのは残念である。
思いの外長くなってしまったが、記事を書きながら冷静になって思うのは、今回の件はドラクエ音楽とオーケストラの素晴らしさを再認識するいい機会になったと感じている。ストーリーや設定、演出の欠陥に比べれば、「映像と音楽だけは(比較的)よかった!」のかもしれない。
(この記事を書く際に、使われた楽曲リストを作ろうと本映画をもう一度見ようと考えたが、あまりにも足が重く結局見ることはできかった。)