青年期の終わり.blog

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「天気の子」感想 "世界はオタクのために勝手に助かるのやめろ!"

 およそ一年前の七月末、新海誠監督の「天気の子」を見に行った。この映画は当時の自分に大層ウケた。最近BDで再度この映画を見て、その時のことを思い出したので、いまさらながら書き留めておく。

 

 まず登場人物のキャラクター。主人公の少年に対して、

 

少しエッチなお姉さん、気だるげだが人情味あるお兄さん、年上のお姉さん系ヒロインとお姉ちゃん思いの弟、熱い刑事 etc...

 

ウケるアニメのテンプレのようにも思える、オタクが好んで、何度も妄想したような、やつである。特に夏美先輩に関しては、口調や容姿、性格に関して、虚構とリアルが絶妙に入り混じっている(とオタクに思わせる)キャラクターだった。リアルにあり得ない展開も、オタクのリアルだと信じたい心と、ほとんど無意識的に感受してしまうミームゆえに、自然と受け入れざるを得なかった。

 

 

 次にストーリー。分類としては世界系となる、いわゆる「女の子と世界、どっちが大事なの?」系の、オタクが相も変わらず大好きなやつである。ただし、この作品は、量産されたその辺の凡作とは決定的に異なる点がある。

 なぜなら、近年の(特にまどマギ以降の)作品は、たいてい「世界」のほうを選んでしまうからである。そのため、それらの作品は、女の子が犠牲になるかその存在が世界から消滅する代わりに、世界が何事もなかったように回っていく終わり方をする。もしくは、ヒロインと世界の両方を救う大団円エンドとなる。

 

これらの傾向は結局のところ、オタクは、女の子が世界の不条理にいじめられて苦しんでいるところを見て歓喜しているだけ、であることを表している。

加えて、最後には泣く泣く「世界」のほうを選んだふりをして、自分は価値判断ができる正当な人間だと、おのれの低い自己肯定感を最低限維持している。

そして、大団円はさらにひどく、やっぱ女の子も救ってあげないとかわいそうだよな(笑)と言わんばかりに彼女たちを生かし、リアルの人間関係では得られない優越に浸る。

 

 オタクはこういう生き物なのだ。そして、それがウケているため世界系というジャンルは根強い人気を博している。ところが、「天気の子」では女の子を選んでしまう。オタクはいつもと違う展開に混乱してくる。きっと、世界も助かって大団円エンドになるのだなと、勝手に脳が考え始める。もう一展開あって世界を救うのだな、そりゃ女の子より世界のほうが大事でしょと、当然のように思っている。しかし、世界は助からなかった。次のシーンでは、三年降り続いた雨のため水没した東京が映っていた。

 私はこの時完全にこの作品が好きになってしまった。それは、オタク特有の同族嫌悪があったから。

 

オタクは女の子いじめて興奮すんのやめろ!

世界はオタクのために勝手に助かるのやめろ!

 

この作品では、オタクと世界は女の子を救った代償をきちんと支払った。水没した東京を見て、ほんとに気持ちが良かった。すがすがしい気持ちになった。ざまあみろと思った。そのあとの、大人たちのセリフもまたいい。彼らは、女の子に世界の安寧を背負わせていたことを無意識にも自覚し、反省した。まさに、女の子サイドの完全勝利だった。

 

 (ここまでさんざんオタクをディスってきたが、この展開はきっと、一般人にもウケない。なのに平然とやってのける新海誠スゲえよ。そもそも、新海誠はそういう人間だったが。) 

 (ちなみに、世界系作品に関わらず、女の子を傷つける不条理が実はオタクの願望により作られているという事象を、(萌え)アニメにおける「男性的権力」と私は呼んでいる。この話は長くなるので別の機会にしたいが、「男性的権力」をうまく回避した素晴らしい作品が、ここ何年かで増えている気がする。)